あ

  • Text 今日一日

    いい日だった。

  • Text

    昨日、上司からお前は注意力が足りない、と言われた。 言ったことを忘れる。手順書を読み飛ばす。事前準備を怠る。 その結果言われた言葉だった。

    「人間が苦手だから」とか「ADHDの気があるから」といった曖昧だったり思考停止した言葉で見ないふりをしていた。 原因はいくつかあって、前言ったように複雑に絡み合ってはいるけど、おおよその検討はついている。 原因がありすぎて、一つずつ虱潰しに対処していくのが面倒だった。 もう少しで本当に何が何だかよくわからなくなる所だった。 下手に頭のいいことをしようとすると大抵失敗する。 自分がダメな「本当の原因」についてあれこれ理由を言うことはあっても、それを実行に移さない。クズだ。

    現実的には、「本当の原因」なんてほとんどありはしないんじゃないかと思う。 自分のように様々な原因が絡み合っていることがほとんどなんじゃないか。 と思ったが、これも無用に物事を一般化して見ようとして、本質から逃げている考えではないか。 自分は問題から逃げるあまり、前述のような思考の飛躍があまりにも多い。多すぎる。 思考の飛躍は物事を別の観点から見る時には便利かもしれない。 でも日常的にはそういう考え方が必要となるケースはあまりなくて、目の前の問題から逃げずに対処する姿勢の方がよっぽど重要だ。 思考の飛躍がいきすぎると、人から説明を受けても、人の理解と自分の理解が大きく異なってきたりする。 最近こんな記事があったけど、これはまさに自分のことだ。 ブコメでも「これは自分のことだ」なんて言っているけど、 何か気になるものがあったからこそそういった発言をした覚えはあるが、本当に分かっちゃいなかった。今だって本当に「分かって」いるか非常に不安だ。 そもそも完璧に物事を理解するなんてことはないのだから*1、そういった自信を持つべきではない。

    Amazon.co.jp: 平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学

    この本がなければ、治そうとすら思えなかったと思う。 この本に出てくる「虚偽の人々」は、とても自分によく似ていて、このままの性格だとずっと誰かを裏切り続けてしまう、という危機感がやっと現実感を伴ったものになってきていた。*2 自分が使えないクズだというのも気付いていた。 このエントリを書く時、本当に辛かった。 書くのをやめようかとも思った。 ネットではいい顔をしていたい。 転職のお知らせだの退職のお知らせだの見る度近づきたくない気持ちになる。 俺はなるべくネットとリアルは分けていたい。*3 胃がキリキリ痛むたび、改めてその思いの強さに愕然とした。 化けの皮はがれかかってるだろうし、透けてるだろうけど。 早く自分が価値のない人間だということに気付いてほしい。 中途半端に期待を持たないでほしい。 そんなものはないって?自意識過剰だからまったく気が付かなかった。

    ネガティブなことをネットに書いてしまう人々を見ると、たまにイラッとしてしまうことがあった。 それは自分の場合死に近づくことに対して拒否反応を持つことが原因だと考えていたが、 ネガティブなことなら前からちょくちょく言ってるし、原因は自分がダメな自分に近づく勇気がないだけのクズだからだったとようやく気付いた。*4 自己批判に耐えられないだけのクズ。 自己批判と反省の違いも分からないクズ。 しかもその人たちの悩んでいる理由は、大抵自分よりも断然レベルが高いことで悩んでいる。当然だ。当たり前だ。 いい加減まともな人間になりたい。

    入社してから2ヶ月ちょっと。 とっくに解雇するか無視するかしてもおかしくないレベルだが、冒頭の言葉を言った時の上司の自分を見る目はまだ真剣に考えてくれているようだった。 上司は冒頭で言った言葉の後、「一つずつ対処していく癖をつければ、それは直る」と言ってくれた。 上司にとっては何気ない言葉だったかもしれないけど、その言葉を聞いた瞬間にすっと心が軽くなるのを感じた。その場で泣きそうになったがこらえて、トイレに閉じこもって泣いた。まったく帰り際でよかったと思った。 その言葉はまったく異次元から転がってきた言葉のように思えた。自分の性格を直すことなんて真剣に考えていなかった。思考停止。無責任。危機感の欠如。自己中心。庇護欲。 こんな気持ちを味わうのも何回目だろうか。口にするのも当たり前で恥ずかしい、が、もう自分は子供じゃない。社会的に見れば。このままでいい訳がない。そう思ったからこそ、このエントリを書いた。胃をさすりながら。 書いたことそのものに意味がある訳ではない。実行しないといけない。責任感を持った大人になりたい。あの人たちのように、僕もかっこいい社会人になりたい。

    *1 またこれも思考の飛躍だろうか。自分は思考の飛躍をする時に一般化して考える癖があるのかもしれない。これは危ない傾向だと思う。他人に一般化した考えを押し付けることにもつながるのではないか。「そもそも」といった言葉が出てきたら自分の考えを改める必要があるかもしれない。
    *2 まったくといっていいほど危機感がなかった。生きててごめんなさい。
    *3 最近はその境界も薄れてきたが、自分のポリシーがはっきりしないままなので、とても危険な行為だと思う。
    *4 やっと気が付きました。生きててもいいでしょうか。

  • Text 「それがぼくには楽しかったから」の大学の時の感想文出てきた

    最近「それがぼくには楽しかったから」を買って、GmailでAmazonから来たメールを整理しようとしたら大学の頃に書いたであろうメモが出てきたので公開してみる。 「それがぼくには楽しかったから」は大学の図書館で一回読んだので、その時の感想。 今読むと自分の文章とは思えなかったりして面白かったり、恥ずかしさで死にたくなったりする。 あと卑屈だなーと思ったり。 でも断片的なアイデアのみでそのまま文章を書き始めるので、全体の文章として筋があってなかったりするところは今と変わらない。

    「それが僕には楽しかったから」を最近読みました。 特にMINIXとLinuxの違い、マイクロカーネルとモノシリックカーネルの違いが印象深かったです。

    Linusが言うにはマイクロカーネルは確かにモジュール一つ一つは小さいかもしれないけど、そのモジュールの間の処理がものすごくかさばる。 (確かにいくつかのモジュール間でのやりとりというのはうまく設計・実装するのは難しい) OSぐらい複雑なものになるといくつかモジュールを分けてモジュール間のやりとりに頭を悩ませるよりも、一緒くた(カーネルは一つのa.outプログラム)にしてしまった方が保守性の点で優れている。とまぁこんなようなことだった気がします。

    これって機能を人、OSを会社なりの組織に置き換えても同じことが言えるような気がします。 ある機能が優れていても、OSなりそれを使うプログラムなりとのやりとりがうまくいかなければ本来の機能による利点に大きな悪影響を及ぼします。

    「なんでもする」「なんでもできる」ようなモジュールよりも「ちょっと便利な機能を提供し、モジュール間でのやりとりもそつなくこなす」モジュールの方が優れていると僕は思いました。 僕自身コミュニケーションを取るのが下手なのでこの事を強く感じています。

    僕が能力さえ優れていればそれでいいといった考え、生き方をしてきたことは否めません。 というより分けて考えていることがおかしいのかもしれません。 コミュニケーション能力も能力(組織から求められた機能)に含まれたものとして考えるのが自然ですね。

    なんでも自分自身と何か(とくにプログラムなど)を結びつけて考えるのは危険なことなのかもしれませんが。 なんとなくそんなことを思ったりしました。

    前記事では自分自身のこととごっちゃになってしまったので、新しい記事で技術的なことに関する考えなどをぐだぐだと書いていきます。

    Unixの設計思想で「一つのことをうまくやる」というのがあります。(http://ja.wikipedia.org/wiki/UNIX%E5%93%B2%E5%AD%A6) 一つ一つの動作はコマンドに分けられ、それらがシェルから呼び出されます。 こういったコマンド間のやりとりは概ねシェルによって(というよりユーザによって)制御され、一つ一つのコマンドはそういったやりとりをあまり考えずに作ることができます。 実は今気づきましたがこれらのことはUNIX哲学にも書いてありますね。

    http://ja.wikipedia.org/wiki/UNIX%E5%93%B2%E5%AD%A6

    これがUNIXの哲学である。 一つのことを行い、またそれをうまくやるプログラムを書け。 協調して動くプログラムを書け。 標準入出力(テキスト・ストリーム)を扱うプログラムを書け。標準入出力は普遍的インターフェースなのだ。

    M. D. マキルロイ, UNIXの四半世紀

    OSやシェル、プラグイン機構を持つプログラムなど、その上で(プロセスに限った話ではなく)別のプログラムが動くものについては、設計において別の考え方が必要なように思います。((これがこの記事を書いたきっかけでもあります)) これらのプログラムはプログラム間のやりとりを考えざるを得ないプログラムだとも言えます。 この記事ではそれぞれ親プログラム、子プログラムと言うことにします。

    こういったプログラムはどういった作りにすべきか。 求められている機能から考えていきます。

    1. 子プログラム間のやりとり
    2. セキュリティ (サンドボックス)
    3. 非同期

    子プログラム間のやりとりはシェルのようにユーザによって指定するといったアプローチもあります。

    セキュリティというのはだいたい二つの意味を含みます。 1. 親プログラムのデータにおける子プログラムに対しての可視性 2. 子プログラムのデータにおける他の子プログラムに対しての可視性

    非同期は子プログラムの実行を親プログラムがマルチプロセスで動かすといった意味です。(Apacheのような) こうなると1のやりとりも難しくなってきますし、それぞれプロセスを生成していたのでは資源的にも無理が出てきます。 この問題に対してはイベント駆動なもの、実装の面で言えばコルーチンや継続などを使った擬似的な並行プログラムが重要視されていると感じます。

    これらの機能をどういった構造で実装すべきか。 Linuxのようにモノシリックか、あるいはMINIX、Windows NTなどのようにマイクロか。 だからマイクロソフトかなどとかなりくだらないことを思った方もいるかもしれません。 いないかもしれませんがちなみに言うとNT系以前はモノシリックな作りだったらしいです。

    (モノシリックとマイクロという言葉に囚われず、自分が知ってる設計例をあげていく vimとか)

    (TODO) - Windows NTでカーネルコードとユーザーコードを切り離したことでOSのフリーズがなくなったことについて - MINIXのプロセス周りの設計のまずさと、それに対するLinuxでの実装について

    (考えてみれば当たり前だ。 親プログラムは「無」の状態から作るのに対し、子プログラムはどうしても親プログラムの制約を受ける。)

  • Text 去年頃から印象深くて何度見かしたページ

    役に立つ情報を公開してくれてたり、全く知らない世界の技術の話だったり、いろんな理由から尊敬してる人たちのサイト。

    • 3 Minutes Networking
    • メルマガ - いますぐ実践! Linux システム管理 / バックナンバー(日付順)
    • 自宅サーバのインフラ設計書を公開します - GeekFactory
    • Hadoopは汎用機の夢を見るか? - 急がば回れ、選ぶなら近道
    • 僕が交換機を作っていた頃 - ハリ・セルダンになりたくて

  • Text これまでのあらすじ

    引越して15日程が過ぎた今日、我が家のリビングには未だに食卓がなく、引越しの際に使われた段ボールがその代わりを担っていた。しかし誰もそれを咎めようとはせず、ある意味、かつて祖母が支配していた「高度に整った」生活インフラに抗うかのようであった。

    https://twitter.com/#!/tyru/status/171057385102778370

    私も生活上の細かい不満はあったが、祖母の過干渉がないことで、ひどく冷静な気分を保っていた。というより、以前の家では、私こそが祖母の一番の被害者だった。私はもちろん、私を育ててくれた祖母を愛していたが、祖母は介護の不満を私に干渉することで解消しているように見えた。

    https://twitter.com/#!/tyru/status/171058648032870400

    確かにそれは仕方のないことだと思えた。しかし、最近(ここ数年ほど)とみに私への干渉と、介護の対象である祖父との諍いが絶えなかった。私は幾度も反抗した。物を壊したりもした。父はそういった境遇にある私の良き理解者であり、だからこそ、私の物にあたる癖は良くないことだと叱ってくれた。

    https://twitter.com/#!/tyru/status/171059581408133121

    しかし、そういったことは今はもう過去のことだ。先日、祖父母が住むアパートに電話した時、穏やかな祖父母の声を聞いて、そう思った。私は祖父母に3月から正社員として働くことを告げた。全てが良い方向に向かっている、と思った。

    https://twitter.com/#!/tyru/status/171060206179065858

    これからのことは私には分からない。そもそも私は、あまり私自身の気持ちを規定したくはない。しかし私は、これまでなるべく自分の気持ちを曖昧にしたまま生きてきて、助かった面と、被害を被った面、また、人に迷惑をかけてきた面とがある。

    https://twitter.com/#!/tyru/status/171062469136089090

    だからこれからは、自分の気持ちというものを「腰の据わった」ところに着地させる必要があると思うのだ。つまり、「意見」を持つということだ。当然それには「責任」もついて回るだろう。どちらが先に求められるかは分からない。恐らくはほぼ同時だろう。

    https://twitter.com/#!/tyru/status/171063247208857601

  • Text 反発

    俺泣かなかったよ。3度も4度も、何度だって、我慢した。
    悔し泣きも、嬉し泣きも、話してると無条件に涙腺が緩んでくる話題だって、
    今こうやって書いてる時だって泣いてない。必死で、休み休み堪えてる。


    だって今日は始まりの日だから。
    家族4人で迎える人生初めての日だから。


    日付を越えたのでちょっと泣く。
    この涙は何のための涙かは分からないけれど、それは悔しいわけでも、嬉しいわけでもなく、
    今日の出来事とは一切の関係はなく、全くニュートラルな状態で流す涙だ。


    ちょっと泣いたら寝て、朝が来たらバイトに行くよ。

  • Text 母方の祖父が亡くなった

    豪快な方でしたが、また酒を呑んで話を聞きたいです。

    亡くなった娘の一人っ子ということで、色んな意味でいろいろと気にかけてくれて、本当に感謝しきりです。

    おつかれさまでした。

  • Text 設計する、コード書く

    • 一度設計したら意地でも実装する
    • しかし書き始めてからすぐにこのパターンはダメだと気付く時がある
    • もし浮かび上がった問題が致命的なものならもう一回設計からやり直す
    • 致命的でないなら意地でも実装
    • 一番ダメなのは迷うこと

  • Quote
    "たまに誰かを殺す夢を見る。夢でもなく妄想なのだけど、あえて夢と表現したい。
    それを終えるまで目の前のことが見えなくなり何も聞こえなくなる。
    ただひたすら達成感を得たいのだと思うが、その行為がストレスから来るものなのかどうかさえ分からない。何しろ突発的なのだ。そしてそれを思いついた時にはそれをせずにはいられない。
    暴論だと分かっていてあえて言うが、もしかしたら、こういう人間はそれほど珍しくはないのではないかと思う。"

    一昨日の自分のメモより

  • Text マクロ的思考

    マクロとミクロを素早く切り替えて思考する能力がほしい。

    バイト先に正にそういう人がいて、本当によく喋る。頭の回転が物凄く速い。

    色んな分野の浅くでもいいから、他分野のことをもっと知りたいと思ったのは

    その人がきっかけだった。


    その人は、何かに何かを結びつけて考えると非常に多くのことを記憶できる、と言った。

    ずっと前に階層型思考は男性に多いというような話を聞いたが、どうなのだろう。

    いちど男女の仕事の進め方の違いを観察してみたいと思うが、

    また仕事になればいっぱいいっぱいになって忘れてしまうだろう。

    自分には余裕が足りないのだ。

    でも余裕がないから狭い思考になってしまうのだろうか。

    一見納得のいく見解のように思えるが、本当にそうだろうか。


    暗いエントリになってしまうが、本当に痛感するのだ。

    いかに自分が本当に狭い中で非常に遅々と思考するタイプなのだと気が付いた。

    その人と話していて自分もそこそこ速く喋れるのだな、

    と自分では思ったが客観的に見れば遅いだろう。

    よく「特化した能力を持った人はその能力を伸ばした方がいい」

    なんて言うが、本当にそうだろうか。

    是非は置いておいて、少なくとも、自分個人の気持ちとしては

    あまり一つの分野に滞っていたくはない。

    となると新たな発想は知らない世界に飛びこんでいった方が得られやすいものだし、

    実際知らない世界に飛び込むことで、自分が持ってるものは

    「特化した能力」でもなんでもないことにも気付いた。


    大学生なのに大学に行っていないという矛盾した生活を送っていた頃は、

    本を読むことで世界を広げようとしていた。

    焦燥感のようなものからそうせざるを得なかったと言うべきか。

    実際それは有効だったろうし、まぁつまるところ知らない世界は

    外に出れば無数にあるのだから、外に出ればよかったのだ。

    なんて簡単には面と向かって昔の自分に向かっては言わないけど。

    怒られそうだし怒られても構わないけど

    「昔の自分は他人」と常々思ってるので、そんなことは言わない。

    (この発想はプログラミングも影響したのだろうが、SF的なものからだったりする)

    他人である自分が言って、行動に移さないままでは変わることは難しいと思うからだ。

    無駄とは言わないが、ひどく濁った泥水の中に石を投げ込むようなもので、

    水質改善にはつながらない。それは本人にしかできないはず。

    技能と才能について でも言ったが、

    本当の理解というものは自分が外界とインタラクティブに繋がることで起こり、

    ようするに実行するのが一番手っ取り早い。

    ただ座っていて悟りを得られるならいいのだが。

    人間は無意識下では何でも分かっていて、
    でも人生はそれを具体化して改めて考えなおすことの繰り返しなんじゃないかな、とか言ってみる。

    それに自分の人生を考えることで精一杯で、

    それは多くの人がそうなのかもしれないが、

    部屋に籠って世界の事を見通した気になっていた頃よりは

    必要なことだけを考え、前に進むことができているはずだ。

    そういうことはしばらく先に進んでから考えればいい。


    そういえば、冒頭で言った人は日本一周旅行(のようなもの)をしたことがあるらしい。

    今月行くと言っていたが、身体が不調で行けなかったそうだ。

    旅行に行くはずだった長い休みの間、整体院に行って、

    いかに健康が重要であるか気が付いた、と言っていた。

    健康は本当に大事だ。

    自分も定期的に筋トレをするがその度に目の前が晴れたような気持ちになる。

    高校生の頃にある整体院に行って、人生が変わったような気持ちになった。

    まぁその話は長くなりそうなのでまた今度。というかすでに色んな所で話しているような気がする。


    まとめ。

    • マクロ的な思考を身に付ける
    • 浅くともその分野のことを知ることで世間の見解を知る
    • 事象と事象を結び付けて考えることで記憶量を増やし、視点を広げる

    こんなところだろうか。

    今更だがマクロ的な思考(?)をするのに

    見出しは便利なことも覚えておいた方がいいかもしれない。

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By Peter Vidani
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